最近のこうちゃんは、信じられないくらい大きな声を出す。
この小さな体でどうしてこんな大きな声が出るんだろうと不思議なくらいに。
例えば、私が鋏を使ってるのを見て、いそいそとやって来て手を伸ばしたけれど、私から
「これは危ないから、ないないね」
と隠されてしまった時など、
「あんにゃーーい!!」
と不満の叫びを上げたりする。
渡してもらえない時の理由が大概“危ない”だからか、不満な時は「あんにゃーーい!!」である。
そしてその後、自分がいかに不満であるかを演説し始めるのだが、それもまた大音量。
「ほんとに駄目なの。おてて痛い痛いになっちゃうから。」
「にゃい!!💢 あんにゃい!!💢」
「もうちょっと大きくなったら、こうちゃん用のはさみ用意してあげるから、それまでは切るのはママに任せてよ」
「・・・」
「お? 解ってくれた? ありが」
「うっ、きいーーーーーーーーー!!!!!」
鼓膜が破れそうな金切り声を上げられる。
そんな状況が度々あるので、うちと背中合わせになっているおうちには、前から申し訳なく思っていた。
この袋小路の人たちなら顔と名前も一致しているのだが、一本向こうとなるとちょっと自信がない。
たまにある地区清掃で少しずつ覚えていたのだが、コロナでそれもなくなってしまって、私の情報量は増えていない。
そんな今日、すっかり忘れていた町会費の回収に、たぶん初めてお会いするおばあちゃんがやって来た。
しまった、今日回収だって回覧板に書いてあったのに、私とした事がすっかり忘れていて、現金が、ない。
謝って、後でお届けする事にさせてもらった。
そのおばあちゃんが帰っていった後、いつものお隣のおばあちゃんから
「おうち判るの?」
と訊かれた。
「Tさんって仰ってたので、端から表札見ていこうかと、、、」
「あらやだ、訊いてよー(笑) おたくのちょうど真裏よ」
「えっ、そうなんですか!」
なんと、さっきのおばあちゃんTさんが、うちのリビングからの奇声をダイレクトに聞いているであろうおうちの人だった。
私は銀行に行って現金を下ろしてから、こうちゃんに電車や車をたくさん見せて上げられるルートでお散歩をし、少し緊張しながらTさん宅へ向かい、インターホンを鳴らした。
Tさんは、ちょっといかつい感じのおばあちゃんだ。
うちの袋小路の人たちに共通するほんわか系ではなく、チャキチャキ系で、厳しそうな印象だった。
はっきりもの言いそうだな。。。
出てきたTさんに、謝りながら町会費を渡した後、私は少し怯えながら切り出した。
「いつも騒がしくて申し訳ないです。ちゃんとご挨拶しなきゃと思ってたんですけど、あの、お顔が判らなくて、、、5月のお掃除の時にYさん(うちのお隣さん)に教えてもらおうと思ってたんですけど、中止になっちゃってそのまま、、、」
叱られている小学生の如くしどろもどろになりかけたところで、Tさんが豪快に笑いだした。
「全然!大丈夫よー!2回くらいかな、泣き声が聞こえたんだけどね、それで“あら、赤ちゃんがいるわ”って思ったんだけど、それから聞こえなくなったから、もう大きくなったのかと思っちゃってたわよー!」
私はその豪快さに圧倒され、もぞもぞと
「いや、ほんとに、、、朝から晩まで、、、最近だと金切り声みたいなのも上げてて、、、」
と、何かを喋っていた。
Tさんはこうちゃんを優しく眺めながら
「そういうものよ!」
と言い切った。
こうちゃんがよだれ掛けを引っ張ってしゃぶっているのを見て、Tさんはかがんで話しかけた。
「あら、あぶちゃん美味しいの?」
最近ではかっこよく『スタイ』と呼ばれる中、私は古風に『よだれ掛け』と呼んでしまうのだが、更に上がいた。
『あぶちゃん』。
懐かしい響きだ。
「男の子だもんね、そりゃあ元気よね! うん、可愛いのねえ。あら、バイバイできるの? おりこうさんねえ」
誉められたので、こうちゃんはより一層にこにこしている。
背を伸ばして私に向き直ったTさんは、毅然とした態度で、こう言った。
「私達はみんな、子育てしてきてます」
「は、、、い」
「子ども3人、孫6人育てたのよ」
「そんなに!」
「なんっにも気にしないで、のびのび子育てしてあげて下さいね。それが一番大事なんだから」
私は何かに衝撃を受けて、ちょっとぼんやりしながら家に帰った。
何の衝撃だろうか。
こうちゃんに麦茶をあげながら考えた。
安心と、感激だ。
どんな大人になりたいかって、子どもの頃からずっと考え続けてきた。
立派な大人、まともな大人、自分のケツは自分で拭ける大人。
自力した大人、楽しそうな大人。
その時々で、変化したけれど、いつでもそうなれるように努力はしてきた。
でもそうじゃない気もしていた。
頑張ったからなれる大人じゃなくて、自然になる大人がポイントだと思った。
なにかになろうとするんじゃなくて、どう生きてきたかの結果がそのまま表れる。
今日私が見たのは、他者への理解だった。
いや、今までもずっと、それを見てきたんだ。
ご近所さんからも友達からも、みんなに優しくしてもらって、いつもとても嬉しくて幸せな気持ちになった。
全部これなんだ、他者への理解。
自分が欲しいものと、自分がなりたいものが、初めて一致した。
だから衝撃だったんだ。
すごいね、本やテレビからじゃなくて、裏のおばあちゃんきっかけで気づくなんて。
まあ、裏のおばあちゃんと言っても、犬を7、8匹飼っていて庭に噴水があるおうちだから、もしかしたらただ者ではないのかもしれないけれど。
のびのび子育てしよう。
普通に暮らしてるだけでも、日常には気づきと学びが溢れている。
私が毎日を大切に過ごしていれば、こうちゃんもきっとそうなる。
自分の周りをよく見よう。
今日あのおばあちゃんと話せて良かった。
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