ちょっと前に、こうちゃんが「まんまんまー❗」なんて「ま」の音が発声できるようになった話を書いたら、
お友達の1人が
「それって、ママって言ってるんじゃないのかな?」
とコメントをくれた。
その時は「そうだったら嬉しいな。でも多分まだ違うよね」
と思っていた。
あれから半月くらい経ちまして、なんと
「ん」を入れずに「ままーーー❗」
って叫ぶ事が増えた。
でも残念ながら、なのか当然ながらなのか、
私をママだと認識してママという呼び名を叫んでいるわけではないんだな。
本当にヤバい状況の時、すぐに来て助けて欲しい時にだけ
「ん」無しの「ままーーー❗」が繰り出される。
ずりばいして突き進んで行った挙げ句に毛布の中に突入して真っ暗になっちゃったとか
ローテーブルの上の物を頑張って引っ張り落としたら自分の上に落ちてきて痛かったとか
そんなよくあるパターンでは使われない。
こうちゃんも慣れているから、不満げな「ああう❗」くらいで、
私も笑いながらゆっくり助けに行く。
初めて味わう恐怖の時にだけ、こっちがビクッとするくらいの緊急性を感じさせる声ではっきりと
「ままーーー❗」
と呼ぶ。
最近だと、
クッションを使って自分でお座りの体勢に持っていったら横向きにこけて頭ごっちんしてびっくりしたとか、
部屋の隅っこに退避させていたメリーに向かって這っていって、中で方向転換したら出られなくなっちゃったとか、
「助けて❗& パニック❗」
を周囲に知らせるニュアンス。
つまり「ままーーー❗」の意味は
「今すぐ助けて❗ 何が起こってるの⁉️ 僕わからない❗」
であって、私の輝かしい肩書きである『ママ』を意味している訳ではない。
それでも、呼んだら来てくれるのはママなんだから
そのうちリンクしていって、いずれは本当に本当の「ママ!」を言ってくれるんだろうな。
言葉を言葉としてではなくニュアンスで掴み始めているのは
「やあよ」でも感じる。
広告や私のノートなど紙類をくしゃくしゃ丸めるのは、触感も音も楽しいんだろうから好きにしてもらっているけど、
紙を食べるのだけは危ないからだめ。
でも強く「だめ❗」って言いたくない。
これを言い慣れてしまったら良くない気がする。
何となくそう思うだけで、本当にそうかは解らないけど、
強い口調でNGを伝えるのって、調教みたいでいやなんです、私は。
だから、いかにも悲しい顔をして
「それはやあよー」と言っていた。
そうしたら今では、丸めた紙を口に入れる前に
ちょっと私の顔を見上げて待っている。
(口に入れたい欲求は仕方がない。赤ちゃんだから)
それで「やあよー」と言うと、やめてくれる。
でも口に入れたい気持ちはあるので、まだ紙を握りしめてる。
だから「こっちの方が面白いんじゃない?こうちゃん、これで遊ぼうよ」
とおもちゃという代替案を提示すると
紙ではなく代替案の方を飲んでくれる。
毎回びっくりする。私が。
コミュニケーションが取れる事に。
でもこれも、やり過ぎると私の顔色を伺う癖がついてしまうんじゃないかと思う。
難しい。
調教じゃなくて、押し付けじゃなくて、
何て言うんだろ、ナチュラルに教えたいんだけど。
だから「やあよ」も「危ないよ」とか「危ないからやめよ」とかに変化しつつある。
理由をちゃんと伝えないと駄目だよね?
でもって代替案は必ず用意する。
これで大丈夫かな?
考え過ぎは良くないと思いつつも、最初で最後の育児になるかもしれないから考えなさすぎで漫然と過ごしたくはない。
こうちゃんと一緒にいると、離乳食で素材そのものの味に改めて向き合ったり、
コミュニケーションの中で日本語に改めて向き合ったりと、
すごく考えさせられる機会に恵まれる。
ちなみに夫はどんな感じかというと、私の話を真面目に聞いてくれた上で
「まずけりゃもう食わねえし、痛い思いしたらもうやらねえだろ。そうやって学んでいくんですよ」
と言っている。
いささか乱暴にも聞こえたんだけど、見ていたら、
いたずらに夢中で頭ごっちんして泣いちゃった時には
「いてえのか!自分のせいだろー❗ぎゃはははは❗」
と爆笑していた。
ママみたいに抱っこしてよしよししてくれないパパを
こうちゃんは男の子らしい負けず嫌いの顔で見上げて
力強くバタバタしていた。
また、いけないものを口に咥えていた時には
「それちょーだい🎵」
と優しく言っていた。
全然渡してくれてなかった(笑)
でも、「パパが何か言ってるぞ?」という顔でちらちらパパの顔を見上げながらかみかみしていたから、
これもそのうち合点が行くのかもしれない。
ちょーだいって言うのはそういうことか❗って。
私達は今、会話の始まりを楽しんでるんだな。
0 件のコメント:
コメントを投稿